大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和58年(ヨ)1946号 決定

申請人

熊谷鍾三

右代理人弁護士

門前武彦

被申請人

平野工業株式会社

右代表者代表取締役

川中貞一

右代理人弁護士

原田甫

山本哲男

主文

1  申請人が被申請人に対し雇用契約上の地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し金七二万二二五〇円及び昭和五八年六月から第一審の本案判決の言渡に至るまで毎月末日限り金二四万〇七五〇円を仮に支払え。

3  申請人のその余の申請を却下する。

4  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

(当事者の求めた裁判)

申請人は「申請人が被申請人に対し雇用契約上の地位にあることを仮に定める。被申請人は申請人に対し金七二万二二五〇円及び昭和五八年六月から本案判決確定に至るまで毎月二〇日限り金二四万〇七五〇円をそれぞれ仮に支払え。申請費用は被申請人の負担とする。」との決定を求め、被申請人は「本件仮処分申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする。」との決定を求めた。

(当裁判所の判断)

一  当事者間に争いのない事実及び疎明資料によれば一応次の事実が認められる。

1  被申請人は従業員約三七名を擁し、各種産業機械、ステンレス建築金物、物置等の製作・加工を主たる業務とし、工場は高石市泉北工業団地内の高石工場と淀川区に所在する株式会社淀川製鋼所(以下「淀鋼」という。)内の淀川工場の二ケ所を有している株式会社である。淀川工場は現在五社ある淀鋼の協力(下請)工場の一つで、ヨド物置など淀鋼の製品を製造している。

2  申請人は昭和五四年九月三〇日被申請人に時間給のアルバイトとして雇用され、淀川工場に午前八時半から午後五時まで勤務(残業もある)しはじめた。当初四ケ月間は現場作業員をし、それ以降は庶務全般の事務処理を行い、昭和五七年二月淀鋼にコンピューターが導入されてからはコンピューターの入力作業も行っていた。

3  申請人は昭和五八年一月二五日被申請人から二月二八日限り退職せよと要求され、同年三月一日以降従業員として取扱われていない。

二  任意退職の主張について

被申請人は申請人が昭和五八年一月二五日の退職勧奨に応じて退職したので雇用契約は合意解約されたと主張するので検討する。疎明資料によれば、被申請人の社長が同日申請人と淀川工場長の山本を高石工場に呼び、申請人に対し同年二月二八日限り退職するよう告げたところ、申請人は「そうですか」と答えたこと、申請人は代理人に相談に行き同年二月一二日到達の内容証明郵便を以て退職の要求には応じられない旨の意思表示をし、同月中旬申請人は社長から再度やめるよう言われたが、返答しなかったこと、申請人は同年三月一日淀川工場に出勤し、タイムカードを押したところ、山本工場長から押すなと言われたため出勤を拒否されたものと考えたこと、そして一日か二日引継ぎのため出社したが、それ以後出社しなかったことが一応認められ、右認定事実によれば、申請人が任意退職を了承したものとは到底言えず、被申請人の主張は失当である。

従って昭和五八年一月二五日被申請人の社長が同年二月二八日限り退職せよと言ったことは申請人がこれに応じない時は同日付をもって解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という。)をしたものと解することができる。

三  雇用契約の性質

被申請人は申請人との雇用契約は、臨時且つ補充的な雇用形態のアルバイト契約であって使用者の必要により何時でもその雇用契約を終了させることができるもので契約書にも「勤務状況、態度、動作等又は技術上等被申請人が不適当と認めた時は一方的に解雇できる」旨の特約(以下「随時解雇条項」という。)があるから、その解雇に当っては企業の維持、運営上の必要性を勘案して本工の解雇より簡単に解雇できると主張する。他方申請人は本件契約は被申請人の恒常的業務を遂行するため締結されたもので、昭和五五年、五七年の二回更新され、申請人の就労期間は三年四ケ月余に達することから、通常の期限の定めのない契約であり、本工と同一の解雇基準によって解雇の有効無効を決すべきであると主張するので以下検討する。

1  臨時雇用者の解雇

臨時雇用者とは、本来は企業の一時的業務繁多又は労働者側の差支えその他特別な事情のためにある特定の期間を限って雇用され、更には特別の業務に従事する者、或は正社員となる前段階としての一時的な身分関係(試用期間等)をさすものであり、雇用契約の実質的内容において企業との結びつきが正社員に比して稀薄である。従って臨時雇用者の解雇は正社員の解雇に比して解雇権の行使が解雇権の濫用として無効とされる範囲が小さいものと解される。

2  申請人が臨時雇用者に該当するか

申請人が本来の意味の臨時雇用者に該当するかどうかは、具体的な雇用契約成立時の事情や契約期間ないし従事すべき職務の内容その他の契約条項並びに勤続期間その他諸般の事情を総合して実質的雇用関係が本来の臨時的なものであり、企業との結びつきの度合が一般従業員に比して稀薄であるかどうかによって判断すべきである。

疎明資料によれば以下の事実が一応認められる。

(一) 被申請人は淀川工場で淀鋼の物置部材のパレット(整理台)への積み込み等の軽作業に従事する人員が不足していたのでこれに従事する男女アルバイト、素人工を採用するため昭和五四年九月二七日別紙一記載の労働条件を記載した新聞広告を読売新聞に掲載して求人の申込みをした。

(二) 申請人は昭和二九年九州大学工学部卒業後同時に栗田工業株式会社に入社し、技術課長、堺分室長を歴任したが、昭和四四年退職し、それから昭和五〇年までの六年間に三回転職した。同年一一月株式会社中日学習塾(以下「中日学習塾」という。)に講師として勤務するかたわら、塾を自営していたが、翌五一年四月中日学習塾が倒産し、申請人経営の学習塾も倒産した。申請人はそれ以後別の塾にアルバイト講師として昭和五四年四月頃まで雇われ、家庭教師も週二回行い、月収一三、四万円を得ていたが、もっと収入を得ようとして被申請人の求人に応募した。

(三) 申請人は被申請人の淀川工場長の山本の面接を受けたが、山本工場長は仕事は素人工のアルバイトの募集であること、労働条件は時間給で、作業時間は午前八時半から午後五時までで、皆勤手当、交通費が支給されるが、賞与は金一封であること、有給休暇はないこと等説明し、申請人が九大卒なので他の仕事をさがしたらどうかと言った。しかし申請人は採用を望み、週二回の家庭教師の日は定時に帰宅したい旨伝えた。当日は採否は決まらず、二、三日後山本工場長から申請人に電話で採用が通知され、九月三〇日より申請人は勤務しはじめたが、その際契約書は作成されなかった。

(四) 就業規則によれば、被申請人には従業員(第三条)、短期の期間を定めて雇用される臨時傭員(第二四条)、定年年令を超え、一年の期間付契約により雇用される嘱託者(第六五条)の三種類の雇用形態があり、従業員男子の定年は満五五才(第二九条)である。実際は日給月給制で賞与も支給される従業員である正社員、試用期間中の従業員である準社員、時間給のアルバイト、出来高払いの請負と呼ばれている者の四種類に分かれていた。就業規則は従業員に適用され、従業員は会社の許可を受けないで在籍のまま他の事業に従事してはならない(第四三条一項)ものとされ、有給休暇も与えられていた。アルバイトには就業規則の適用がなく、有給休暇もなく、ボーナスも金一封程度であった。従業員はプレス工等熟練を要する職務を担当し、アルバイトは素人工とも呼ばれ、パレットへの積み込み作業等比較的単純で熟練を要しない代替性ある作業を担当していた。

(五) 申請人の担当職務

(1) 部材加工

申請人は被申請人に採用され、淀鋼内の淀川工場において淀鋼の物置の部材加工を行なった。部材加工は三人一組で行い、部材をロール成形機に挿入する者一名、成形機から加工された部材を取り出し、パレット(整理台)に積み上げる者二名であり、二名共同して積み上げていた。申請人は同年一二月末頃まで大体部材の積み込み作業をしていた。

(2) 事務作業

淀川工場の事務は山本工場長、下田係長、朝田主任と女子事務員一名が担当していたところ、昭和五四年一一月頃女子事務員が退職し、又被申請人が淀鋼から各生産設備(機械)毎の一日当り稼働時間、生産数量等何ケ月間のデータの提出を求められたことが契機となり、申請人は昭和五四年一二月末頃から山本工場長の指示により徐々に事務作業を行うようになった。

申請人は出勤簿の整理(各人の遅刻・早退・残業時間数・有給休暇の取得日数等を一ケ月単位で集計すること)原板以外のダンボール等の副資材、雑消耗品の購入管理、売上請求書、仕入伝票の作成、帳簿記入等の総務、庶務関係を担当し、昭和五六年頃からは山本工場長、下田係長、朝田主任と共に時々発生するクレーム処理(物置の部材は何種類かの梱包に分けて淀鋼の販売先の建材店等へ発送されるところ、物置を組み立てるのに一部の部材が不足していたり、別のものが入っているような場合は淀鋼からクレームがあり、不足品等を販売先へ送ること)も行うようになった。

(3) コンピューター作業

昭和五七年二月淀鋼は毎日の入庫数量及び在庫数を把握し、これにより生産計画、販売計画を立案し、且つ同社の全国全支店からの在庫問合わせに即時に回答できるようコンピューターを導入した。協力工場五社も午前八時半から正午まで使用し、被申請人の割当時間は午前一一時から正午までとされ、午後は淀鋼が使用することとなった。

被申請人においては当初朝田主任がコンピューターの入力作業を担当する予定であったが、同人が面倒だからやりたくないと断ったため、申請人が行うこととなった。入力作業の内容は、現場から提出される生産日報(生産した品種、生産数量、作業人員、作業時間、不良品の数量等を記載したもの)を見て、一日大体一五、六品目の部材と五、六種類の梱包の生産数量等を入力するものであった。申請人は三〇分程度入力の方法の説明を受けただけで、研修のないままコンピューター作業を行いはじめた。部材、梱包の種類はそれぞれ約九〇〇、約一〇〇程度であり、その略語表もあるが、よく生産するものは暗記しなければならなかった。

(六) 昭和五五年に申請人と被申請人は労働契約書と題し、その右横の括弧書の中にパート、アルバイトと記載され、アルバイトに丸をつけた別紙二記載の契約書(疎甲第二号証)を作成し、申請人と被申請人の社長が署名押印した。本文中には臨時雇のアルバイトとして勤務すること、被申請人は都合により随時解雇しうる旨の特約が記載されていた。時間給は七四〇円であったが、昭和五六年には七八〇円に、更に昭和五七年には八二〇円に引き上げられた。昭和五七年八月二一日頃労働契約書と題する別紙三記載の契約書(疎甲第一号証)が作成された。本文中には随時解雇条項が記載されている。そしていずれの契約書にも期限の定めはない。

申請人に対し被申請人が正社員になるよう言ったことはないし、申請人も右各契約書作成時、前記特約が記載されていることがわかったが、特に異議を述べなかった。申請人は正社員になれば時間外手当の減少により減給となり、又週二回の家庭教師を続けることができなくなることを恐れ、正社員への登用を希望しなかった。

3  右認定事実によれば、申請人はアルバイト(素人工)として採用され、当初数ケ月間は部材加工の現場作業員をし、その後は事務員として総務、庶務関係の仕事をし、昭和五七年二月のコンピューター導入後はその入力作業も担当していたこと、賃金は時間給であるが、勤務時間は午前八時半から午後五時までで正社員と全く異ならず、申請人は被申請人の恒常的業務のために期間の定めなく雇用され、本件解雇まで約三年五ケ月勤務していることが一応認められるので、申請人と被申請人との間の雇用関係は形式はアルバイトであっても、その実質は正社員と異ならないから、申請人は本来の意味の臨時雇用者にはあたらない。

そうすると申請人の解雇については正社員の解雇と同じ基準により、その解雇権の行使が権利の濫用として無効とされるかどうか判断すべきものであり、随時解雇条項も解雇をやむをえないとする事由が生じた時にはじめて解雇しうる旨を定めたものと解される。

四  解雇理由について

1  被申請人は申請人との雇用契約がアルバイト契約であることを前提に、解雇理由として随時解雇条項の「勤務状況態度動作又は技術上等被申請人が不適当と認めたとき」にあたる、仮にアルバイト契約の主張が認められないとしても解雇事由を定めた就業規則第三〇条第二号の「技能著しく劣り発達の見込みがないと認めたとき」にあたるとし、その理由は(1)現場作業に従事していた際、その動作が怠慢なため物置部材の加工作業の能率が低下した(2)事務作業に配転された後、売上請求書、出勤簿、仕入伝票の整理等が遅く、親会社の淀鋼への請求書の提出期限に遅れることが常態であったため、淀鋼の担当者から被申請人の製造係長が何度も注意を受けた(3)淀鋼のコンピューター導入後売上請求伝票等の入力作業に従事したが、申請人はこれに非常に手間取り、淀鋼から被申請人の社長、工場長が三回程注意され、コンピューターの入力作業から配転するよう勧告された(4)申請人は通常の勤務時間内又は僅かな残業時間で仕事を処理できるのに最高一ケ月一五〇時間もの不用な残業を行い、残業稼ぎを行った(5)申請人は工場長の職務指示に対し言葉遣いが悪く、職場の雰囲気を乱したことである旨主張するので以下検討する。

2  疎明資料によれば以下の事実が一応認められる。

(一) 申請人が部材加工に従事していた頃、申請人は若干動作が遅いため、申請人の組の作業スピードがいくらか落ち、又作業のリズムが狂うと危険なので、申請人は、何回か注意された。そして現場責任者は山本工場長に対し、申請人の配置転換を検討してほしい旨要望した。

(二) 申請人が事務職員として総務、庶務関係の仕事をしていた頃、淀鋼に対する売上請求書を提出期限内に作成できないことがあったため、淀鋼の担当者から、被申請人の製造係長がもっと早く提出するよう四、五回注意された。

(三) コンピューターの故障や被申請人の前にコンピューターを使用する別の協力工場の山菱が午前一一時までの割当時間をオーバーすることも時にはあったが、申請人の入力作業は若干人より遅かったため、淀鋼の担当者から被申請人の社長、工場長らが同年一〇月以降苦情を言われ、一二月には配置転換するように求められた。

(四) 申請人の残業

申請人は事務作業を行うようになってから残業が多くなり、昭和五七年一月から昭和五八年二月までの残業時間数は別紙四記載のとおりであって、昭和五七年四月から退職の要求を受ける前の一月まで(賃金の計算期間は前月二一日から当月二〇日までであるから一月分についていえば昭和五七年一二月二一日から昭和五八年一月二〇日までの集計である)は、最低で一一五時間、最高は一六〇時間もの残業を行い、休日も殆んど出勤していたので山本工場長の二七万位の給料より多額の賃金を得ていた。他の作業員は大体五〇時間から七〇時間程度の残業時間であって、申請人の残業時間は最も多かった。

尚被申請人は申請人が工場長の職務指示に対し言葉遣いが悪く、職場の雰囲気を乱したと主張し、これに副う山本工場長の陳述録取書(〈証拠略〉)、同人の報告書(〈証拠略〉)、被申請人の社長の報告書(〈証拠略〉)があるが、いずれも抽象的であって具体的事実の指摘がなく、にわかに採用し難く、他にこれを認めるに足る疎明はない。

右認定事実によれば、被申請人が勤務成績不良の理由と主張する諸点のうち(1)、(3)の事実と(2)のうち売上請求書の作成・提出が遅かったことは一応認められるが、(4)については長時間の残業を行ったことが認められるのみで、それが業務上の必要もないのに申請人が残業手当を得るため行った旨の疎明はないし(5)の疎明もない。

3  他方疎明資料によれば以下の事実が一応認められる。

(一) 安全推進委員

淀鋼と被申請人ら協力会社は、淀鋼の下請管理の責任者である生産課長及び協力会社から一名宛安全推進委員を選び、右六名を以て安全推進委員会を構成し、毎月一回から三、四回工場内の安全パトロールと毎月一回の安全反省会を行っていた。安全推進委員会の役割は職場の作業環境の向上と労災事故の防止であり、安全パトロールは一回二、三時間かかっていた。被申請人以外の協力会社選出の安全推進委員は工場長や製造課長等であったが、被申請人は申請人と他三名を昭和五七年四月安全推進委員に選出し、安全パトロールには交替で出席させていた。又申請人は安全反省会の書記もしていた。

(二) 淀鋼の申請人に対する感情

昭和五七年の秋頃申請人が山本工場長と残業していた時、淀鋼の水上生産課長が協力会社の中長製作所の工場長らと一緒に被申請人工場に来て所持品検査のため机の引き出しを全部開けるよう指示した。これに対して申請人はこの場にいる者の机だけにして欲しいと求め、後に苦情を言われた。又申請人が被申請人の安全推進委員となり、安全パトロールの議事録の作成を担当していた時、水上課長が「部材は必要な時必要な数量だけ生産し、在庫を置くな。それで一本当り単価が高くついても淀鋼が支払う。」旨発言したので、これを議事録の原稿に記載したところ、水上課長からこれを抹消された。以上の次第で申請人は淀鋼の水上課長から生意気な男と考えられた。

(三) 申請人に退職要求した後の状況

被申請人は申請人に退職の要求をした後の昭和五八年二月井上某を採用した。申請人は同年三月初め山本工場長の指示により朝田主任に対しコンピューターの引継ぎをし、井上に対しコンピューター以外の事務作業の引継ぎをした。更に被申請人は同年四月辻俊子を採用し、同人に朝田主任に代わりコンピューター作業をさせ、朝田主任は事務作業のみ行うようになった。

そして(証拠略)には申請人が安全推進委員に選ばれた理由は職場を抜けてもあまり影響がないということである旨、又被申請人が申請人をやめさせ、代わりに二人の事務員を採用したのは、同年五月頃から淀鋼の指示により新製品の製造を行い、事務が繁雑になったためであるとの供述記載があるが、安全推進委員は淀鋼の生産課長と共に安全パトロールをする者でかなり重要な役割と解されること、二人採用の理由自体職員採用後の事情である上、申請人の陳述録取書(〈証拠略〉)によれば、従来から被申請人が淀鋼の指示により新製品の製造を行うことはいくらもあったが、その場合も現人員で対応し、新たに人を雇ったことはなかったことが一応認められることに照らし、右供述記載は採用できない。

4  右2、3の事実により勤務成績不良の理由につき検討するに、被申請人は理由(1)の事実についてはその後、とがめることなく事務職に配置換えしており、(2)の売上請求書の作成の遅れと(3)の事実によれば、申請人が請求書の作成とコンピューターの入力作業が若干遅かったことが認められるけれども申請人を安全推進委員に選任し、又申請人に退職要求した後、特に事務作業が繁雑になった事情もないのに二名の事務職員を採用したことが認められるから、これらを総合的に考えると、本件において申請人の勤務成績が不良であったと評価することは相当でない。更に淀鋼が申請人をコンピューター作業から配転するよう求めたということも、右3の(二)の事情からなされた可能性も否定できず、そのことから直ちに申請人のコンピューターの入力作業が著しく遅かったものと解することも相当でない。

従って本件解雇は申請人が就業規則第三〇条第二号の「技能著しく劣り発達の見込みがないと認めた時」に該当しないのに、被申請人がその解雇権を濫用してなしたものであって解雇の効力を生じないものとする外はない。

五  保全の必要性

疎明資料によれば、申請人は被申請人から本件解雇以前三ケ月間前月二一日から当月二〇日までの時間給と皆勤手当の合計約二四万〇七五〇円以上の賃金を毎月支給され(計算の算式は別紙五のとおり)、これと申請人の家庭教師のアルバイト代約五万円及び申請人の妻の収入約七万円合計約三六万円で申請人と妻及び一七才の次男、一六才の次女、一四才の三女との五人の生計を維持してきたものであることが一応認められ、第一審における本案判決の言渡に至るまで被申請人の従業員として取扱われず、毎月の賃金の支払が受けられないとすれば、申請人に回復しがたい損害を生ずる虞れがあるものと考えられる。しかし申請人が第一審における本案判決の言渡の時以降にまで及んで金員の仮払を求める部分は申請人が本案の第一審において勝訴すれば仮執行の宣言を得ることによって右と同一の目的を達することができる訳であるから右申請部分については必要性を欠くものというべきである。

六  結論

してみれば申請人の本件仮処分申請は主文一、二項記載の限度で理由があることとなるから保証をたてさせないでこれを認容し、その余は理由がなく且つ保証を以て疎明に代えさせることも相当とは認められないからこれを却下し、申請費用の負担につき民訴法第八九条、九二条但書を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 大工強)

別紙一

新聞広告

男女アルバイト軽作業、

機械作業、素人工

勤務 8時半~5時迄時間相談 時間給 男700~800円

女500円 皆勤交通費支給 勤務地 阪神福駅歩15分

(475)1294 平野工業(株)電乞

別紙二 労働契約書(パート・アルバイト)

平野工業株式会社(甲)は 熊谷鍾三を(乙)とし下記の通り契約し乙は各事項を履行することを確約致します。

乙は甲の臨時雇(パート・アルバイト)として記載の通り誠実に勤務します

場所 (株)淀川製鋼所

業務

作業時間 午前8時30分~午後5時00分

条件 乙は甲の必要とする期間とし甲の都合にて随時解雇する事が出来る甲の都合にて解雇するも異議のないこと

賃金 日額 円

時間給 740円

残業・公休出勤 1時間ニ付925円

交通費 12,000円

皆勤手当(精)5,000(1,700)円 条件は社員給与規則による

以上の外の諸手当はありません

其の他 有給休暇其の他の休暇はありません

賞与・昇給はなし(賞与は金一封とする)

甲の都合にて乙が解雇された場合乙は甲に対し如何なる名目の金員を請求出来ないものとする

労災保険は甲が加入するも其の他保険類は加入しない

解雇予告は2~3日前の予告とする

昭和55年 月 日

甲 平野工業株式会社

代表取締役 川中貞一 印

乙 住所 (略)

氏名 熊谷鍾三 印

〈甲〉住所(略)

氏名 平野工業株式会社

代表取締役 川中貞一〈印〉

〈乙〉住所(略)

氏名 熊谷鍾三〈印〉

別紙三 労働契約書

昭和 年 月 日

平野工業株式会社(以下甲とす)と熊谷鍾三(以下乙とす)は下記の条件を確認して契約す。

〈省略〉

条件其の他{労災保険は甲が加入し其の他の保険(健康・厚生・失業保険等)は加入しない。賞与は金一封程度支給する

甲は乙の期間中といえども勤務状況態度動作等又は技術上等甲が不適当と認めたる時は甲は乙に対して一方的に予告を要せず契約を中止することが出来る。乙は契約終了時又は契約中止の時であっても甲に対し退職金其の他一切の金銭を請求出来ない。有給休暇其の他の休暇はありません。本契約の満了時1ケ月前に契約更新か否か乙に対し甲は通告する。若し通告がなかった時は引続き本契約と同条件で続行するものとする。

別紙四 申請人の残業時間数

〈省略〉

別紙五 申請人の賃金

時間給 820円×勤務時間7.75=6,355

残業手当 1,025円×残業時間 3=3,075

1月当り最低出勤日数25日

(6,355+3,075)×25=235,750

皆勤手当 5,000円

以上総合計 24万0,750円

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例